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6月, 2025の投稿を表示しています

アメリカと日本の、英語教育の違い。

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僕は8歳から15歳をサンフランシスコで過ごしました。 平日は現地校、土曜日だけ日本語補習校に通い15歳で帰国した時は 英検準1級は一発合格する反面、漢検は5級も落ちるくらい英語のほうが得意な状態でした。 日本の英語のクラスは、あまりおもしろくなかった。 逆にアメリカでの英語のクラスは今思えば、おもしろかった。 「楽しい!」と騒ぐおもしろさではなく、好奇心をくすぐるような授業で、 気がつくと黙々と取り組んでしまうような、そんな内容が含まれていた。 英語学習、楽しいと身近に感じられると上達が早いと思う。 今日はそんな話をしようと思う。 Language Arts という授業 アメリカの学校での英語を学ぶ授業は、主にLanguage ArtsとReadingの二種類に分かれていた。 Readingは先生が取り上げた本を音読したり、内容を要約する。 宿題でBook Reportが出て、自分が選んだ本を要約して、その内容をクラスの前に立ってプレゼンする。 そういった内容だったと思う。こっちは単調であまり好きではなかった。(役には立ったけど) もうひとつの授業、Language Artsが「言語」と「芸術」が直訳だ。 この授業が遊び心が施されていて、僕は「なんか好きだな」と思っていた授業だった。 Language Artsをググってみたのだが、「言語という芸術を多面的に学ぶ」イメージみたい。 読む、書く、聞く、見る、話す、ビジュアル化しながら、英語を学んでいくようだ。 このLanguage Artsの授業がとても良かったと思う。 日本もだいぶ変わってきているみたいだけど、やっぱり文法から体系的に英語学習していこうとするのは、よくない。日本語を勉強するときのように規則的なルールが通用しないことがとても多いからだ。 Languageをartのように取り組んだほうが、長期的なメリットがあると思う。 遊びのような勉強も入っている いきなり日本からアメリカに飛び込んで、 先生に言われたことが一言も分からない。 そんな中でいろんな授業をこなすのは、とても大変だった。 そういう状況の中、 Word Search にとても救われた。 英語の授業で、たまに英語の映画を観る的な息抜きがなかっただろうか。 そんな感じで、word searchもスキマ時間や宿題にするものだった。 アルファベットの羅列...

日本で働く外国人の方々へ。

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  こんにちは。 日本に関心をもってくれて、ありがとうございます。 僕は日本で生まれ、日本がとても大好きです。 食がおいしく、自然が豊かで独自の歴史や文化をもつ魅力に惹かれ続けている一人です。 神奈川で生まれ、サンフランシスコで育ち、京都にある立命館大学を出てシンガポールやオランダ、カナダ、アメリカなどでも働いた後、インバウンド事業を開始。 起業後はコロナが被ってしまったこともあり、とても大変でした。 事業を1回閉め、資金を貯め直すためにリゾートバイトを始めました。 北海道、築地、箱根、京都、鳥栖と働き、唐津市に移住。 佐賀県唐津市に移住したのは2025年3月です。 唐津に行き着くまでの2年ほどのリゾートバイト期間中、たくさんの外国人労働者と接し、過酷な労働状況をこの目で見てきました。 一番記憶に残っている出来事は北海道のとあるリゾートでの出来事。 スチームサウナのように蒸し暑くなっている洗い場で、 水分補給をしたがっている中国人労働者がいたのに現場の担当者たちは無視。その子が泣き崩れても無視。 マイボトルは衛生上の理由で持ち込み禁止。水道水を飲もうとするとそれも会社のルールで駄目とだけ言う。でも飲み水のタンクは空。水道水が駄目なら浄水をくんでくるか、くめる場所を教えてくれるよう頼んでもお客様が優先と無視。 それに怒りの限度を超え、新入りだったのも気にせず僕は管理者に「衛生や忙しさの前に人の命じゃないんですか。なんのための大手ホスピタリティ会社だ」と言いにいきました。 彼らだって悪気があるわけではないことは、理解しないといけないと思います。 ただ、忙しすぎて目が行き届ききれていない。(言い訳にはなりませんが) やっと状況が管理側に伝わり、すぐに洗い場全員に10分休憩が付与されました。 でも愚痴大会をしたいわけではないです。今回の趣旨は今後どうすれば、労働環境が改善しそうかです。 外国人労働者にとって働きやすい環境が整えば、日本人にとってもより働きやすい日本になっていくはずで、僕はそれにとても関心があります。 労働環境の改善を話し合ったほうがいい 難しいのは承知していますが、自分に与えられた労働者としての権利を落ち着いたトーンで、仲介者や行政も巻き込みながら地道に話し合っていくことが大切です。 直接会社にばかり話してしまうと、「生意気な」と状況は悪化していく可...

読者へのお願い。

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読者に助けてもらおうかな… そう思った話をしようと思う。  僕は書きたいことはたくさんあるのだけど、 どれから書けば良いか分からないーーー。 そんな悩みをよく抱えている。 そんな時に僕が頼りにしているのは、周りが困っていることをポロッと言っていた時の解決方法や、 そこから連想されたテーマなことがある。 「無茶苦茶か!」って突っ込まれるかもしれないが、 昨日書いたエンジェル投資家の話は、 価格を決めるのに迷ったことがきっかけだ。 あまり迷うのが好きではないので、3000円+税なら3300円。 仏教では3はラッキーナンバーだ。 良いじゃん。 3と仏教が頭の中に巡ると、僕が京都で好きなお寺のひとつ、三十三間堂が連想された。 「三十三間堂といえば、あのエンジェル投資家だなあ。よし、彼について書こう」 京都で出会ったエンジェル投資家の話。 そんな感じで書いていることもある。 クエリを探している 僕がいろんなところで仕事をしたり、貧乏旅行をしながらローカルの人と触れ合ったりするのは、クエリを探しているからだ。 クエリの定義をググった。 「一般的に「問い合わせ」や「質問」を意味する言葉で、IT分野では、データベースや検索エンジンなどに対して、特定の情報を要求する命令文やキーワードを指します」 要するに人々の悩み事や疑問だ。 会う人との何気ない会話から、その人の課題感が見える。その解決方法をブログ化すると読まれやすい。 企業も、基本的に「蚊に刺されてかゆいのをなんとかしたい」「英語ができるようになりたい」「格好良くなりたい」など、クエリに応えた商品を提供して事業化している。 人々の悩みは、机に向かって考えるよりそのへんの人と話したほうが早いときもある。 だから僕は、とにかく動く。 今後の予定 いろんな人と話している結果、僕は人々の「考え方が変わる」ことが一番良い効果を生むんじゃないかと思っている。 バリ島にいた時、マイナス思考にいきかけた人たちを「ちょっとした病気にかかっただけ。直せるさ」と言ったドイツ人がいた。 そう、思考はアップデートできる。誰でもマイナスに行ってしまうことがあるが、それを戻すことはできる。 それを基本に、僕が思いついた書くタイトルはこんな感じ。 今まで行った国で、フランスが一番好きな理由。 僕のアイデアの作り方 Life Starts at 40 Ea...

京都で出会ったエンジェル投資家の話。

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  立命館大学に在学中、「Good Samaritan Club」というボランティアの案内サークルに所属していた。 そのサークル活動で依頼を受けたシンガポール人に、「シンガポールで働かないか」とスカウトされた話を以前、書いた。 シンガポールの銀行にスカウトされた理由。 そういう話は決して珍しくなく、僕はとても出会う人に恵まれた。 今日はロサンゼルスで大学教授をしていた、エンジェル投資家の話をしようと思う。 京都のハイライトをまわりたい。 その二人の要望は、「京都のハイライトをまわりたい」だった。 物腰が柔らかくて、飾らない。 カリフォルニア〜といった人で、サンフランシスコ育ちの僕には一番過ごしやすい人たちだった。 和やかにガイドが進むなか、いろんな質問をされる。 それは京都のことだったり、なぜ世界中に大学があるなか京都を選んだかや、多岐にわたった。 僕は自分なりに一所懸命答えた。 お礼がしたい。 ガイドを終えて、僕は大学の友達の家で過ごしていた。 そうすると、先ほどまでガイドしていた人から連絡が入っていた。 「お礼がしたいんだが、さっき行った三十三間堂の近くに来れるかい?」 たまたま一緒に過ごしていた友人が車をもっていたので、 「龍ちゃん良いよ、おれが送ったるよ」と言ってくれ、 パーカーにジーンズの普段着で気軽に行ってしまった。 指示通りに進むと、 ハイアット・リージェンシー京都 だった。 こんな格好でハイアット?まずい… と思いいはしたものの、これ以上待たせたくない。 そのまま行くことにした。 ここでご飯を食べよう。 ガイドしていた時とは全然違う、しっかりとした格好をしていた。 「今日のお礼をしたいんだ。ここで好きなものを食べて行けば良い」 「僕この格好ですが…」 「大丈夫だよ。君は僕達のゲストだからね。そのままで良い」 一番安い料理でも、5000円くらいだった。僕はそれにした記憶がある。 君は将来、なにをしたいんだい? 昼のように、和やかに会話は進む。 そんな中、僕が将来どんな事をしたいか、聞かれた。 「僕はホテル・マネジメントに関心があります。以前、外国人観光客に話しかけられて困っていた浴衣姿の女の子の通訳をしてあげて、それを観ていた祖父がとても喜んでくれた。おそらくそれがきっかけになって、こうやってガイドをしたり、ゆくゆくは海外のゲストに心地よく滞在...

僕が世界一受けてよかった授業の話。

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僕は立命館大学の国際関係学部を出たのだが、 一度だけ、シンガポールで就労ビザ待ちの時に、 国立大か早慶じゃないからと通らなくて、困ったことがあった。 でもそれ以外は、本当に立命館を出てよかったと思うことが本当に多い。 サークルも京大、同志社、立命のインカレだったが、 やっぱり立命の人たちと仲良くなることが多かったし、 「自分に合う人たち」だった。 留学や休学のサポートや、授業なども学生想いで、 龍安寺の目の前が学部の裏なんて、素敵な立地だった。 とてもオススメだ。 話がそれたが、その立命館でこの授業は本当に受けて良かった…と思うものがある。 僕は社会人になってから、自然とこの授業を実践していたと思う。 今日はその話をしようと思う。 大事なのは、やっぱり人間関係。 もう嫌ってほど皆が言っていると思うが、 やっぱり世の中で人間関係をうまくやっていける人は、 人生もうまくいく。 僕は、決して話し上手だったわけではない。 人付き合いも、そんなに好きじゃない。 (なかなか信じてもらえないけど) 立命時代も、個性が強すぎる関西人ばかりが周りにいて、 いじられ倒されるのが嫌になって不登校気味だった。 そんな僕が、行きたくて行きたくて仕方がなかった授業があって、 それが確か、「リーダーシップ・プログラム」という授業だった。 国際関係学部の授業ではなく、遅い時間に、いろんな学部の生徒が集まって参加する授業で、 英語圏の講師によって、英語で行われた。 Win Winを考えよう。 授業の趣旨は、「Win Winを考えよう」という趣旨だった。 相手と話す時、自分ばかりが話すのではなく、 相手がどんな人物で、自分がどう貢献できそうか。 そういった視点で話題をふっていくのだ。 学生の時にそんなにうまくできるわけがないが、 意識するだけで良い。 僕はその後シンガポールの銀行にスカウトされるのだが、 その銀行で徹底的に教わるのも、 "Know What the Client Needs"(顧客がなにを必要としているのかを知れ)だった。 自分が得するためには、相手のニーズを知り、それに役立つ行動をおこす。 それを起こして出た結果の価値が高いほど、自分にも価値があとから返ってくる。 そういったことを教えてくれた、リーダーシップ・プログラムだった。 聞き上手であれ 僕は話す必要がない...

英語学習に必要なたったひとつの考え方

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  唐津の某飲食店の英語研修を受け持つことになって、初の授業をどうするか、考えていた。 唐津の飲食店の英語研修を任された話。 上記の投稿にも書いた通り、キクタンをベースに、実際に現場で使いたいフレーズを英語にし、徹底的にシャドーイングで真似てもらおうと思う。 使う機会が多いフレーズばかりになるし、実際に接客中使えるので、即メリットになる。お客さんの接客が捗れば、楽しくもなってくるし、もっと良くしたいとモチベーションが上がるのを狙っている。 でもその前に、今日は英語ができるようになる人とならない人の違い、考え方について話そうと思う。 初授業はこの話をしてから、キクタンの実践に入ろうと思い、メモ代わりに残しておくことにした。 Growth Mindset vs. Fixed Mindset これは『 マインドセット 』の本に出てくるのだが、 「必ずしもIQが高ければ結果を出し続けられるとは限らない」のは誰もが知っていることだと思う。 東大を出れる頭脳はあっても、結果がでず仕事では挫折し続けている人だっている。 この本によれば、グロース・マインドセットをもち「自分は成長していける」と感じている人は、フィックスト・マインドセットのように「自分の能力はすでに決まっている」と思い込む人と比べ結果を出しやすいそうだ。 英語の世界でも、できるようになる人達は、コツコツと日々少しだけ成長することに集中している成長マインドの持ち主だ。 「英語なんて難しい」「日本で英語なんていらない」「私はバカだから」などと英語を始めからそのように捉えてしまったら、その時点で試合終了だ。 そう考えてしまうのはFixed Mindsetの方。 良い質問は、「どうすれば、できるようになるだろう?」だ。 How do I... How do I...? これが鍵になる。 この考え方は、Growth Mindset。 「自分は少しずつよくできると行動する」考え方をもつのが、英語を学習するうえで何よりも大事だと思う。 失敗なしではできるわけがない。 日本人が日本語をできるようになるのは、文法を学んだからではない。 赤ちゃんの時に、家族や周りの人に話しかけられ、それを真似しながら気づいたらできるようになっていた人が圧倒的多数のはずだ。 赤ちゃんは、「ぱ、ぱー」や「まっまっ」などと、惜しい音を何度も言いながら...

僕の人生を変えた本10冊!

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Image from Unsplash  大学3年生のとき、祖父が入院してその看病中暇なので本を読み始めた。 それまではあまり本を読むひとではなかったのだけど、 病院で本を読み始めたのをきっかけにたくさんの本を読んできた。 仕事でテーマに沿って本を紹介するコラムも任された時期もあり、 本を紹介するのは好きだ。 今日は僕が読んできた中でもっとも役立った本を紹介しようと思う。 僕の人生を変えてくれた、10冊の本 1.Atomic Habits 僕が新卒の頃は、『7つの習慣』が自己啓発のバイブル的な扱いだったが、 最近なら、(少なくとも英語圏では)その地位にいるのは、 『 ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣 』だと思う。 僕は、この本のほうが自分の人生にフィットしたし、全員が自分の行動に落とし込みやすいと思う。 事業失敗でどん底に落ちたメンタルを戻せたのは、この本を読んで、 「一日一回、HIIT動画をこなせば合格ということにしよう」 小さな良い習慣がより良い習慣を呼んでいった話。 とぐっと自分のハードルを下げてみたことだ。 そんなどうでもよさそうな習慣の積み上げでまさかこんなに人生が好転していくとは夢にも思っていなかった。 ひとつの良い習慣を続けることは、人生を間違いなく変える。 著者の週1のメーリングリストは端的に「今週の考えるべきこと」のようなテーマでさくっと気づきを与えてくれるため、 僕が購読している唯一の メーリングリスト だ。 この本が役立った僕のエピソード: 小さな良い習慣がより良い習慣を呼んでいった話。 2. The Long Game 『 ロングゲーム 今、自分にとっていちばん意味のあることをするために 』を読んで、 「力を抜いて、人生は壮大な暇つぶしだと考える」ようになったと思う。 人生は長いと考え、いまうまく行かなくても長い目で見れば、良い景色が見える瞬間がくる。 その景色は儚く消え、次の景色のために歩きだす。 人生はそれで良いし、本当にそんなものだ。 期待は災いへの道だと思う。淡々と、長いゲームを楽しめ。 この本をきっかけに、周りの言うことに左右されずに、 自分が興味をもったことを、10年、20年と長くやってみよう。 そう思えた。 この本が役立った僕のエピソード: 興味に従ってみて、起きたこと。 3. 苦しみの手放し方 この辺で日...

僕の英語の先生はアニメだった話。

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僕は8歳の時、神奈川県の横浜市からアメリカのサンフランシスコに引っ越した。 父が単身赴任でアメリカ入りしていて、家族一緒のほうが良いということになり、 母が仕事を辞め、アメリカに移住を決めた。 小学校2年生の夏休み、僕の生活は一変した。 長い夏休みの期間中、友達もいないなか、アルファベットを何度も書いて練習させられたのを覚えている。 英語が普通に扱えるようになるまで、それから2年ちょっと。 それまでは、かなりの地獄を味わった僕に英語を教えてくれたのは、アニメだった。 英語ができない、地獄の日々。 新年が始まる9月、学校では先生になにか言われてもまったく分からず困った。 初日のクラスでは、たまたま後ろの席が日本人だった。 彼が助けてくれたが、またクラスが変わるのでいつも日本人が通訳してくれるわけではない。 怖い先生も多い。言われてることが分からずもたついていると、問答無用でDetentionという罰則みたいなものをもらうこともあった。 日本でいう、バケツを持ちながら廊下に立たされるのと似ているのかもしれない。 ゴミ拾いなどをさせられたり、宿題が増えたりする。 先生に話しかけられるのを、びくびく怯えていた。 英語ができるようになったきっかけは、アニメ。 5年生になるまでは、かなり大変で周りがなにを言っているのかが分からない。 ストレス度はマックスだ。 放課後のアネックスという、課外活動のようなものにも親に入れられてしまい、小学生のわりには帰りも遅かった。 でもちょうど帰ってくると、ドラゴンボールとガンダムが英語で放映される。 どちらとも、日本で観ていたので内容を知っていた。それが英語になって地上波でやっていたのだ。 当時は今みたいな便利な環境ではなく、 父が家族の勉強のためにと字幕機を買っていて、英語や日本語の字幕が出せるようになっていた。 ドラゴンボールを観ていると、何度も観ているシーンが英語で話されるので、 少しずつ、「あーこういう時ってこう言えば良いのか」というのに気づき始めた。 毎日学校には行っているので、割とすぐ、そのフレーズを使う時が訪れる。 もしくは、周りが遣っていて、その音とアニメの音が一致するので反応できるようになる。 これが、英語ができるようになるきっかけであり、良い習慣が循環しはじめたスタートだった。 日本人の、日本語の学び方。 ここでちょっと考え...

英語力より、心が大事な理由。

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英語力も大事なのだが、それより大事なものがある。 英語力はコミュニケーション能力の枝に過ぎず、幹の部分は人間性だ。 英語は自分を伝える道具としてとても有効だけど、 相手に自分の心の部分が伝わると、ぐっとくるというか、 たとえ、英語力が今ひとつだったとしても。 「通訳を連れてきてでもこの人の話を聞きたいーーー」 そう思わせてくれるのは英語ができるからではなく、心に惹かれる時だ。 今日はそんな話をしようと思う。 Tokyo Fashion Weekにて。 僕は学生の時、シンガポールの銀行マンの通訳としてTokyo Fashion Weekに訪れていた。 関連: シンガポールの銀行にスカウトされた理由。 Fashion Weekのランウェーの入口でのことだ。 Welcome Drinkで、スパークリング酒が振る舞われていた。 「へー、スパークリング酒は海外の人がとても喜ぶだろうなあ」 と思いながらくいっと飲んだ。 とても上品で繊細で、ほどよい甘みもありおいしいと感じた。 僕はそこでたまたま隣にいた人としばらく、世間話をしていた。 すると、その銀行マンが珍しく焦った表情で僕にこう言った。 「Ryu、すぐ来てくれ。和服を着た男の人と話していたんだが、なかなか内容を汲み取れない。でも理解したいと思うんだ。彼からは、心を感じるんだ」 ”Hey Ryu, can you come over here? There is an elder uncle I was talking to. I want to understand what he is saying, but English issue. We can't understand what each other are saying, but I feel a "something" from him." すぐ着いていくと、そこには和服姿の、少し年配の男性がスパークリング酒をゲストに渡していた。 その銀行マンが僕を紹介してくれた。 銀行マンの通訳であることが伝わると、その男性は一所懸命に話し始めた。 「そうか、ありがとう。私は、山口県の酒造の者で、地域の運命を担っているつもりで働いてきたんです。このスパークリング酒も私達が情熱を注いでつくったひとつの形でね。この味を知っていただきたくて...

じいちゃんが教えてくれたこと。

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6月17日〜6/19は、僕にとってとても特別な期間で、 じいちゃんの誕生日と、奥さん(僕のばあちゃん)の命日、僕の誕生日と集中している。 そのため、自分の誕生日にどんな投稿をしようか悩んだ結果、 じいちゃんのことを書こうと思った。 僕はとても良い縁や経験に恵まれてきたと思う。 そのベースを作ってくれたのは、じいちゃんだ。 じいちゃんの教えをシェアし、僕の次の世代の人たちの小さなきっかけになってくれたら、 そんな良い誕生日はない。 与える人になれ 僕が大学生の時、ボランティア案内サークルの活動中、シンガポールの銀行にスカウトされた話を書いたことがある。 シンガポールの銀行にスカウトされた理由。 スカウトしてくれた人と僕には共通点があった。 彼はおばあちゃん子、ぼくはじいちゃん子だった。 共通していたのは、「与える人になれ」と教えられたことだった。 彼の実家はとても貧乏だったそうだ。 僕の実家は比較的裕福だった。 そのため、与えられ方は違った。でも彼も僕も、与える人の根幹の部分は、定着したと思う。 とても厳しかった。 スカウトしてくれた人のおばあちゃん、実はよく知っている。 でも今日は、僕のじいちゃんの話に絞ろうと思う。 じいちゃんは、しつけにとても厳しかった。 背筋をぴんとすることや、箸の使い方を習うのに、積み木を茶碗から別の茶碗へ移動させられたのを、とてもよく覚えている。 怒鳴られた記憶はない。でも善い行いには満面の笑顔でサムズアップ(親指を立てる、よくやった!のようなジェスチャー)、悪い行いには残念そうに顔をしかめる人だった。 アメとムチも上手だったんだと思う。 僕はあまりじいちゃんの教育を嫌だと思っておらず、終わるとユニーや横浜駅に連れていってくれて、欲しいと言ったものは基本かってもらえた。 (あまり欲しい物がないからかもしれないけど) 外国人に話しかけられていた、浴衣姿の女の子 僕は8歳の時に父の仕事でアメリカのサンフランシスコに引っ越し、じいちゃんとはあまり会えなくなった。 でも夏休みなどで一時帰国したときは、じいちゃんの家に泊まることが多かった。 横浜で花火大会があり向かっている時に、 欧米人が浴衣姿の女の子に話しかけていた。 お互い、困っているようだ。 じいちゃんは、「助けてやったらどうだ」と言うので、 英語で話しかけた。 確か、なんで浴衣を着ているのか...

僕がシンガポールの銀行で学んだこと

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佐賀県唐津市へのインバウンド集客と飲食店向け英語研修を創業した。 やっぱり「なぜ僕に任せるべきなのか」を見せる必要があると思った。 自分のことをよく言うのはあまり得意でも好きでもないけど、 仕事として本気でやっていくと決めたからには、しっかりと自分をPRしていかないといけないし、 自分の経験を共有した価値が高ければ、事業も好循環していくのだと思う。 今日は僕がシンガポールの銀行にスカウトされたときに経験したことを一部、書く。 シンガポールのプライベートバンクでの仕事 立命館大学在学時代、京都のボランティア案内をしたことがきっかけで、シンガポールでの仕事のオファーをもらった話は、以前した。 シンガポールの銀行にスカウトされた理由。 「私たちは日本人をとても尊敬していますが、日本人との関係構築に最も苦労しているんだ。だからこそ、君の若さや経験、柔軟性が必要なんだ」と、大学生の頃、そのシンガポール人は言った。 英語ではこんな感じで言われたと思う。念の為、載せておく。 "We respect the Japanese a lot, but we also face the most challenge managing relationships with the Japanese, that's why we need your help." The private banker told me when I was still a university student." あなたはテーブルになにをもたらす? 英語の商談で、"What can you bring to the table"というフレーズをよく聞いた。 直訳すればもちろん「テーブルにあなたはなにを持ってくる?」だけど、 「どうやってあなたは貢献できるの?」という意味だ。 大学生だった僕は、自分に自信がなかった。 また、祖父の影響で、「人の役に立ちたいと強く思っている」人だった。 見返りはまったくなしで。綺麗事でもなんでもなく、 本気でそう思っている。それが伝わるようだった。 聞かれたことは丁寧に答えたし、いつもベストを尽くしていた。 京都でのボランティア案内サークル ボランティア案内をしている時、僕は高額のチップをもらえることが多かった。 報酬もない...

唐津の飲食店の英語研修を任された話。

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  佐賀県唐津市に移住してきて、3ヶ月が経った。 英語人材を育成したい。 そう思い商工会議所に事業プランを相談しに行ったのが、1週間前。 トントン拍子で、地元の有名な飲食店を紹介してもらい、英語研修を任せてもらえることになった。 英語研修の成功体験を得て、唐津の他の飲食店の語学力も底上げできるよう、「一緒に良い研修をつくっていこうよ」と言ってくれる、とても男前な経営者さんに出会うことができた。 僕にとっては願ってもみないチャンスで、快く引き受けさせてもらった。 まずは、現場。 僕は現場がとても好きだ。 現場を見なければ、どんな英語を教えれば良いか、具体化しない。 経営者さんにバイトで現場に入れてもらえるよう、お願いした。 それが一昨日の初めて会った日。バイトは昨晩だった。 実際働いてみて、イカの活造りを看板メニューにしているお店なのだが、インバウンドが喜ぶコンテンツだと思った。 また提供しているものに誇りをもっているし、その理由もすとんと落ちてくる。 これは良さをぐっとくる英語で伝えられれば、インバウンドを魅了できると思った。 僕の仕事は英語のハードルを下げる 営業のピークが過ぎた頃、社長がホールスタッフに「入店時の案内を英語で習ってみな」と促してくれた。 英語の教え方はいろいろあるけど、僕は、「英語への苦手意識を取り除く」ことが第一歩だと思っている。 必ずしも、英語のネイティブだけが来店するわけではない。アジアの国々では英語が文章になると理解できない人もとても多い。 なるべく短く、単語さえ正確ならそのほうが伝わりやすい。 ネイティブに対しても、向こうの土地にいてそれだと一蹴される。 でも向こうがこっちに来ているときには、欧米の人も日本に歩み寄ってくれるのをあらかじめ頭にいれておくと、気が楽だと思う。 入店時の英会話 アジアのユニクロに入るとき、必ず"Welcome to Uniqlo"と言われたのを思い出した。 Welcomeも良いのだけど、やっぱり少し違和感がある。 僕は時短派で、(高級店であっても)日本のようなクッション言葉はあまり入れず、短くまとめる。 話し込んでるのに遮るのも気が引けるけど、終わるのを待っていても飲食が進まないので、必要最低限だけど、丁寧にニーズにしっかり応えることを意識する。 どのみち聞かなければいけないことから聞くの...