じいちゃんが教えてくれたこと。
6月17日〜6/19は、僕にとってとても特別な期間で、
じいちゃんの誕生日と、奥さん(僕のばあちゃん)の命日、僕の誕生日と集中している。
そのため、自分の誕生日にどんな投稿をしようか悩んだ結果、
じいちゃんのことを書こうと思った。
僕はとても良い縁や経験に恵まれてきたと思う。
そのベースを作ってくれたのは、じいちゃんだ。
じいちゃんの教えをシェアし、僕の次の世代の人たちの小さなきっかけになってくれたら、
そんな良い誕生日はない。
与える人になれ
僕が大学生の時、ボランティア案内サークルの活動中、シンガポールの銀行にスカウトされた話を書いたことがある。
スカウトしてくれた人と僕には共通点があった。
彼はおばあちゃん子、ぼくはじいちゃん子だった。
共通していたのは、「与える人になれ」と教えられたことだった。
彼の実家はとても貧乏だったそうだ。
僕の実家は比較的裕福だった。
そのため、与えられ方は違った。でも彼も僕も、与える人の根幹の部分は、定着したと思う。
とても厳しかった。
スカウトしてくれた人のおばあちゃん、実はよく知っている。
でも今日は、僕のじいちゃんの話に絞ろうと思う。
じいちゃんは、しつけにとても厳しかった。
背筋をぴんとすることや、箸の使い方を習うのに、積み木を茶碗から別の茶碗へ移動させられたのを、とてもよく覚えている。
怒鳴られた記憶はない。でも善い行いには満面の笑顔でサムズアップ(親指を立てる、よくやった!のようなジェスチャー)、悪い行いには残念そうに顔をしかめる人だった。
アメとムチも上手だったんだと思う。
僕はあまりじいちゃんの教育を嫌だと思っておらず、終わるとユニーや横浜駅に連れていってくれて、欲しいと言ったものは基本かってもらえた。
(あまり欲しい物がないからかもしれないけど)
外国人に話しかけられていた、浴衣姿の女の子
僕は8歳の時に父の仕事でアメリカのサンフランシスコに引っ越し、じいちゃんとはあまり会えなくなった。
でも夏休みなどで一時帰国したときは、じいちゃんの家に泊まることが多かった。
横浜で花火大会があり向かっている時に、
欧米人が浴衣姿の女の子に話しかけていた。
お互い、困っているようだ。
じいちゃんは、「助けてやったらどうだ」と言うので、
英語で話しかけた。
確か、なんで浴衣を着ているのかが知りたかったんだったと思う。
女の子は安心した表情でその欧米人の質問に答え、
僕はふたりの通訳をして、和やかに別れた。
その時じいちゃんは何も言ってなかった気がするが、
父に会った時、その花火大会の出来事に感動し、僕を褒めちぎり倒していたそうだ。
じいちゃんは喜ぶだろうか?
僕は選択に迷った時、じいちゃんの顔が浮かぶ。
基本的には、じいちゃんが満面の笑顔で親指を立て、
「応援するよ」と声をかけてくれそうな方を選択している。
その選択は、周りから非難されることも少なくない。
でも僕にとって大事なのはじいちゃんにどう思われそうかであって、
それ以外の人は極端に言ってしまえば、どうでも良いとさえ思っている。
それだけのことを、両親が共働きで一人だった僕に時間を注いでくれたじいちゃんを
大事に思っていた。
小さな良い習慣
どうやらその選択の連続は、とんでもない幸運をもたらす習慣となった。
シンガポールの銀行でのスカウトだけではない。
大手のコンサル企業や商社、珈琲屋など仕事に誘ってくれる人や企業は多かった。
僕と仲良くしてくれる友達や恋人、取引先、
みんな一言で言えば、すごい人たちばかりなのだ。
「なんでこんなによくしてくれるんだろう」と少々不安だったり、
期待に応えられるだろうかと心配したりすることも多かった。
でもいまなら、自分らしく、じいちゃんの教えを淡々とこなしていれば、
その人たちにも貢献できる人になれている自信はある。
でもまだまだ。
その精度や能力の部分は、満足することなくずっと磨き続けるつもりだ。
僕のじいちゃんの家系はもともと漆塗りの職人らしい。
それがじいちゃんは算数が得意で、税務署勤めの公務員になった。
そこが、じいちゃんの下の世代が世界に羽ばたくようになった、きっかけだと思う。
でもおもしろい。
僕が、向いているのは縁の下の力持ち的なサポート役ではあるけど、
ちょっと、職人っぽいところがあるみたいなのだ。
満面の笑顔を浮かべてくれるように
じいちゃんも完全ではなく、息子や娘からはあまり好かれていなかった。
でも僕は、周りの人がじいちゃんのことを、結構好きなのに勘づいていた。
アメリカに憧れていたらしい。
ジェスチャーや表情がちょっと大げさで、他人でも良いと思う行動を起こした人には、
「おおおお〜」とやはりグッドジョブと親指を立てるか、大きい◯を作っているような、
茶目っ気があるじいちゃんだった。
逆に駄目な人にはxを小さく描くのを僕はどうかとは思っていたが、
税務署で働いているときも、そのように記録をしていた、職業病みたいなものなのかもしれない。
じいちゃんがどのように人格をつくっていったのか、聞いてみたい。
でももう一生聞けないや。
でもきっと、時間が教えてくれるような気がする。
じいちゃんが天国から、大きな◯をジェスチャーし続けてくれるような、
そんな人生にしたいものだ。
インバウンドの集客をサポートします
佐賀県唐津市を中心に、インバウンドの集客から対応までサポートします。
持続可能な事業育成のため、インバウンド集客と英語人材育成をメインに事業展開を始めました。
インバウンドコンサルにつきまして、詳しくはこちらから。
英語でどんな世界を見ますか?
これからを生きるときに「自分はどんな人間で、どんなことがしたいか」を言えますか?
英語を学ぶとともに、この塾で自分なりの自己紹介ページを英語で作ってみましょう。
それは話し相手に興味をもってもらえるきっかけになり、
それがあれば、相手も話題を探しやすくなります。
英語でどんな世界を見たいかは、自分自身である程度決められることに気づきましょう。
そのうえで、シャドーイングをこなしながら一歩ずつこの世界を進んでみてください。
このコースを経験して、ぜひ英語で見える世界の入口に立ってみてください。
英語塾:英語で見える世界のサイト
他以下を主に運営中です。
これからを生きるときに「自分はどんな人間で、どんなことがしたいか」を言えますか?
英語を学ぶとともに、この塾で自分なりの自己紹介ページを英語で作ってみましょう。
それは話し相手に興味をもってもらえるきっかけになり、
それがあれば、相手も話題を探しやすくなります。
英語でどんな世界を見たいかは、自分自身である程度決められることに気づきましょう。
そのうえで、シャドーイングをこなしながら一歩ずつこの世界を進んでみてください。
このコースを経験して、ぜひ英語で見える世界の入口に立ってみてください。
英語塾:英語で見える世界のサイト
他以下を主に運営中です。
フォローお願いします!!
佐賀県唐津市に移住したのをきっかけに、地元の企業や教育機関で、国際人材を育てる事業を始めました。
日本がとてもブームになっているいま、日本の魅力を海外にアピールできるコミュニケーション能力をもつ人材を育てたい。
また、自分の特性を発掘し、「日本をよくしながら自分が成長したい」と主体的に動く人材を育成したい。
唐津を日本のサンセバスチャンのような、食や教育で栄える町にしたい。
唐津の人が、唐津を誇りに思ってもらえるよう、尽力したい。
移住者の僕が、「良いよ、唐津!!最高じゃねえか!!」とよく言っているのを、
「変なひとやね〜なにが良いね(笑)」とくすくす笑うのではなく、
「そうなんよ、唐津最高なんよ!!」と一緒に盛り上がれるようにしたいと思っています。
その成功体験は、いずれ日本全体が盛り上がっていくことに繋がるとも思うから。
このブログでは実際に僕が海外のビジネスシーンで出会ってきた英語フレーズや体験、考え方も解説しながら、「英語で僕が見た世界を発信する場」です。
それをきっかけに、読者の方々もこれから英語で見える世界を楽しみに日々コツコツ、
一緒に成長していきましょう。
少しでも僕の経験が、読者の良いきっかけになりますように!
ぜひフォローをお願いします。
佐賀県唐津市に移住したのをきっかけに、地元の企業や教育機関で、国際人材を育てる事業を始めました。
日本がとてもブームになっているいま、日本の魅力を海外にアピールできるコミュニケーション能力をもつ人材を育てたい。
また、自分の特性を発掘し、「日本をよくしながら自分が成長したい」と主体的に動く人材を育成したい。
唐津を日本のサンセバスチャンのような、食や教育で栄える町にしたい。
唐津の人が、唐津を誇りに思ってもらえるよう、尽力したい。
移住者の僕が、「良いよ、唐津!!最高じゃねえか!!」とよく言っているのを、
「変なひとやね〜なにが良いね(笑)」とくすくす笑うのではなく、
「そうなんよ、唐津最高なんよ!!」と一緒に盛り上がれるようにしたいと思っています。
その成功体験は、いずれ日本全体が盛り上がっていくことに繋がるとも思うから。
このブログでは実際に僕が海外のビジネスシーンで出会ってきた英語フレーズや体験、考え方も解説しながら、「英語で僕が見た世界を発信する場」です。
それをきっかけに、読者の方々もこれから英語で見える世界を楽しみに日々コツコツ、
一緒に成長していきましょう。
少しでも僕の経験が、読者の良いきっかけになりますように!
ぜひフォローをお願いします。
コメント
コメントを投稿