シンガポールの銀行にスカウトされた理由。
前回、物事を前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるかは自分で決められる話をした。
同じことが起きているのに、それをチャンスと思うひともいれば、逃げてしまう人もいる。
チャンスがあるとき、行動を起こしてみたほうがいい。基本的には失敗するのが当たり前だと思ったほうが良い。
その失敗から学んで、「失敗した…」と落ち込むのではなく、「どうすれば、次うまくいくだろう?」と考えながらもう一回行動する、その習慣が自分なりの成功への道しるべとなる。
良い結果を出す人は、小さく成功していることが多い。良い習慣を持っていて、結果までの過程の小さな成功を積み上げている。
その習慣は、誰でも学んで身につけられることも知った。
人として当たり前のことをできる。「信頼できそうかどうか」を見られているのだ。
今日は僕がシンガポールでスカウトされたときの出来事を書いてみようと思う。
シンガポールの銀行にスカウトされた話。
僕が立命館大学の3回生のとき、ボランティアで京都の観光案内を英語で行うサークルに所属していた。
そのとき、待ち合わせに来られなかったシンガポールの観光客に「大丈夫だったかな」と一通のメールを送った。(このメールについても次回書こうと思う)
返信は、急用ができて行けなくなった。という内容だった。
それに加え、「お詫びもかねて、シンガポールに遊びに来たとき連絡して」と言われた。
しばらく経って、バックパックでベトナムとラオスを旅行し、シンガポールを経由して日本に戻ることにした。
その時、例の観光客に連絡を取ったら、UOB銀行のビル下で待ち合わせをし、一緒にランチしようと言われた。
指示に従い行ってみると、「同僚と一緒にランチするから、君もきなよ。卒業後の就職の参考にもなるかもしれないだろう?」
和やかなランチ。
確か、シンガポールの郷土料理屋に行ったと思う。
なにを食べたかもあまり記憶に残ってないけど、5〜6人いた銀行員のうち、秘書のインド系のおばちゃんがとても僕を気に入ってくれた。
ビジネスの話ではなく、「旅行はどうだった?」「日本はどんなところなの?」「シンガポールではなにをしたい?」
そんな話題だ。
「このお店に行くと良いよ」「インドにも来てね」「日本に行くときはあなたに通訳してもらいたいわ」などと、和やかなランチだ。
翌日、僕はさっそくランチのときにおすすめしてもらったお店のひとつに行った。
そうすると、その銀行マンから連絡がきた。
「あのランチはリクルーティングも兼ねててね。大学卒業後、うちで働かないか?君はもう受かったから」
当時は正直、怪しいとしか思わなかったものだ。
ぜんぜん違う、商習慣。
シンガポールや欧米のリクルートは日本とは全然違う。
シンガポールを出国後、内定の断りをいれた。
僕は当時銀行で働くのに関心がなく、ホテルに就職しようと思っていた。
それを伝えると、St. Regis Singaporeと話をしてくれて、そこにも就職できるようお世話をしてくれた。
なぜそこまでしてくれるのか、当時は分からなかった。
でも今は分かる。良い習慣をもった若者を育てて、活躍してもらいたい。
お世話をしておけば、自分が本当に必要なときは助けてくれる同志を増やしていたんだと思う。
でも当時はそれがよく分からず、家族の中で一番お世話になっていた親戚の猛反対にあってしまい、結局は内定を辞退した。
親戚の言い分としては、日本人なのだから、まずは日本で就職して日本側の商習慣を身に着けないことにはろくなビジネスマンになれないとのことだった。
一理はあると思う。でもそれでも「はじめからシンガポールに行くべきだった」と今では思う。
その話もいずれしようかと思う。
スカウトはたまたまか?
そのスカウトの話、ただラッキーだったんでしょう。
そう思うと思う。
でもどうやら、そうではないみたいだ。
僕は帰国子女なので、英語力が高いというのももちろんある。
でも、僕のまわりの帰国子女にこの話をすると結構驚かれる。
例のシンガポールのスカウトの話は、結局スイス系のUBS銀行の就職オファーにつながった。
日本では船井総研を紹介され、働かないかと誘ってもらえた。
僕が中南米の特にメキシコに関心がある話をしていたとき、中南米にも進出している魚介の専門商社、田園調布の珈琲屋、いろんな企業がスカウトしてくれた。
ちなみに、観光案内のボランティアをしていたときは、高額のチップをもらえることが多かった。なかには、「君の大学の1年間の授業料を払いたい」と言ってくれた方もいた。(のちにロサンゼルスに会いに行った)
英語力だけが理由だったら、僕のまわりの帰国子女の友人たちのほうが、東大や慶応、早稲田などもっと偏差値の高い大学を出ている。そのため、名門大卒カードでもない。
他にある良い習慣であることが、あとで分かった。
僕の人生を変えた一通のメール。
シンガポールの観光客が待ち合わせに来なかったあのとき、僕は不安になった。
「なんか間違えたか…?どうしよう、失礼のないようにしなきゃ。今できることはなんだろう?」
逆にありがちなのは、
「約束した時間にせっかく準備して来たのにドタキャンかよ!」
僕は前者で不安になり、メールのやり取りを振り返った。問題なし…
当時はスマホもラインもなかった。簡単に連絡は取り合えない。
メールしかなかったので、それで最善を尽くした。
今までの就職オファーは全部、他者貢献を自然としてしまう人だから導かれた結果なのは、最近になって気付いた。
僕が就職オファーを次々ともらえたのは要するに、「他者貢献のために動けているから」みたいなのだ。
全部パターンで説明できるエピソードがあるので、いずれこの話もしてみようかと思う。
次回は、ひとまずその一通のメールの内容を思い出してみる。
これからの日本をどう生きる?
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