お隣さんとの話の続き。
お隣さんとの話は気づきも多く、楽しい。
向こうも「君にあと10年早く会いたかったよ」とよく言ってくれるので、
とてもありがたいし、良い話し相手だ。
でも育った環境や生きた時代が違えば、価値観は十人十色。
言っていることがすとんと落ちてこないことがあるのは、お互い様だと思う。
どっちが正しいとかではないし、
アメリカ育ちの僕にとっては、どうしても「へーそう考えるのか…」
と自分との違いを意識せざるを得ない。
でもだからこそ、アメリカと日本はよきパートナーなのだ。
年齢は関係ない、今日は人生で一番若い日だ。
過去にいろいろあって気持ちがのらなくなってしまったとしても、
両学長がいつも言っているように、今日が人生で一番若い日だ。
「あと〜年早ければ」というのは、行動しない理由を探しているともとれると思う。
それよりも、小さくても今何ができるかだ。
そう僕が思ったのはきっと、ある二人のおばあちゃんを思い出していたからだ。
タイで出会った元クリントン財団のおばあちゃん。
タイのバンコクを旅していたときのことだ。
一ヶ月滞在だったので、おもしろそうな地元のコミュニティがあれば入ろうかとフェイスブックページを探していた。
そうすると、目にとまった投稿があった。
クリントン財団で長年アフリカで働いた後、難病を抱えていることが発覚してバンコクに移住したおばあちゃんの書き込みだ。
「議論がとても好きで、アフリカでは村長や大学教授、クリントン財団の関係者など多くの方と話すのがとても好きだった。でもタイではなかなかできず、寂しく思っている。英語でいろんな議論をできる友達になってくれる人はいないか」
というような趣旨だった。
僕はなんとなく惹かれるものがあって、メッセージしてみた。そうするとすぐ返事があり、会うことになった。
体力がないので、彼女の自宅でとのことだっだ。指定されたその家は周りが大使館だらけの、バンコクの一等地だった。
パワフルに生きる、おばあちゃん。
会ってみると、難病持ちのおばあちゃんと言ってもとてもパワフルで、Macbookを使いこなし、経済ニュースのブルームバーグを流しながら投資活動に励む…
とても楽しそうに毎日を過ごす、おばあちゃんだった。
難病のせいで体調には波があって、なかなか家から1人で出られる状況ではないそうだが、会話の内容がとても前向きだ。エネルギーに満ちあふれていて、一緒にいて楽しい人だ。
確か、お茶でもしようと1〜2時間会う予定だったはずだ。
でも気がつくと、ぶっ通しで6時間くらい話していた。
夢中で話していたので、もう部屋の中まで真っ暗。
僕もあまりにもマシンガンのような会話の進み方なので、時計を気にするのをためらってしまっていた。
すると、おばあちゃんが、「もう良い時間になってるのでは…?やだ、もう22時じゃない。あなた、今日は帰りなさい。でももっと話がしたいからまた明後日来てくれない?」
と言われ、家をあとにした。
基本、そのマンションのフロアの部屋はほとんど借り切ってしまっているらしい。
ちょうどおばあちゃんの隣の部屋が空いているので、バンコクにいる間、お金は不要なので引っ越してきなさいと言われ、そうすることにした。
そんなおばあちゃんと意気投合して、滞在中はいろんな話をした。
家族への音声テープ
そのおばあちゃんは、あまり息子さん達と関係がうまくいっていないようだった。
簿記ができる人で、ニューヨークで散々遊んでいたが、
大学に通うことにして、そのスキルを活かしながらアフリカに行きたいと本当に行ってしまうような人だ。
家族は大変だったのだろうなというのは想像がつく。
でも経験がとてもおもしろい、魅力的な女性だった。
聞いているうちに、とても話がおもしろいし、困難にあったときの彼女の選択が、ささるのだ。
きっと、ご家族の方も直接会っていると角が立つこともあるのかもしれないけど、
音声で聞く分には、とてもありがたいと思う日が訪れるのでは?と思った。
「音声で自分の人生について、録音しておいたら良いんじゃない?」と言ってみた。
そうね。孫娘も喜ぶかもしれない。やってみようかしら」
「うん。そんな録音テープが出てきたら、きっと興味をもつと思う」
と録音できる機械を調べてあげた。届いてからすぐ、セットアップもそのマンションのコンシェルジュやアシスタントがやってくれたそうだ。
そうすると、本当に内容の濃い、結構な量の音声ファイルが出来上がった。
恋愛の話や、メンタルが壊れてアル中になってしまった人生の失敗も赤裸々に語られていて、すごいなと思った。
「とても良い経験だったわ。あなたのおかげで第一歩を踏み出せて、そのまま走り抜けられたわ」と喜んでいた。
確かに音声データを残すきっかけは僕の一言かもしれない。でもすごいのはそのおばあちゃんの行動力とエネルギーだ。
タイの滞在が終わりにさしかかってきた頃、そのおばあちゃんは三つ星のミシュランに連れて行ってくれて、とても楽しい食事をした。
マナー面でちょっと怒られたり。ウェイターは常連が来たと緊張してしまったのか、水を僕達のテーブルにぶちまけてしまったりもした。
でも笑いがたえない食事で、おばあちゃんがデザートが出てきた途端あんなに嬉しそうな顔を見せるのかと、ちょっと感動もした。
こんな素敵な人がいるのかーとじんわりきたものだ。
今日も楽しく自分の投資ルーティーンをこなしているのだろうと思う。
英語がペラペラの、メキシコのホストマザー
僕は立命館大学在学中、メキシコに一ヶ月の留学をした。
その時のホストマザーはとても料理が上手な、おばあちゃんだった。
Luzという、スペイン語で「明かり」という意味の名前だ。
そのおばあちゃんは英語がとても上手だった。
僕はなるべくスペイン語で。おばあちゃんは英語で僕に話しかけた。
一人アメリカ人が一年留学でも来ていて、やはり3人で、よくいろんなことに関して議論した。
でもおばあちゃんが住んでいる周辺住民で英語を話せる人はほぼいなかった。
ふと、おばあちゃんに「なんでそんなに英語が上手なの?」と聞いてみた。
そうすると、
「部屋を見てもわかるように、私はキャンドル職人だったのよ。でも歳をとってもう老人。もういいかなと思った。それからラジオでCNNを聞くようになったの。聞いているうちに少しずつ流れる英語の内容がわかるようになってきてね。
それがおもしろくて、一人。また一人。とあなたたちみたいな学生のお世話を引き受けるようになって。確かに、こんなに英語でいろんな人と話せるようになるなんて、想像しえなかったわ」
とキラキラした笑顔で答えていた。
今日が人生で一番若い日だ。
僕は英語塾で英語を教えていたことがある。
その時も入会相談の生徒さんが歳を気にする際、塾長はよくお知り合いが定年退職後に長年の夢だった医者になる夢を実現させて、いまなお活躍中だという話をよくしていた。
大事なのは今なにができるかなんだ。
「こうだったら。ああだったら」とやらない理由を探すよりも、
小さくても良いから、今日できることをやってみるかが、大事だとつくづく思う。
僕も起業で失敗したあと、小さい習慣を始めた。
その習慣の延長線上に、タイのおばあちゃんとの出会いがあった。
この小さな行動を起こすこと。それが、あなたにとっても思いもよらない、遠くの世界まで連れて行ってくれるはずだ。
歳のせいにしてやりたいことを辞めない方が良い。
It's better late than never!(やらないより、遅くてでもやるほうが良い)
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大事なのは、マインドセットだ
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このブログは、起業が失敗で終わった僕がどうやって幸せを見つけられるようになったか、そんな話をすることからスタートしました。
同じ環境にいても、それを幸せと感じる人もいれば不幸と感じる人もいる。
僕が人生最悪だと思った日は、今では人生最高の日だったかもしれないと思えるようになった。
物事の見方や考え方を変えると、道が拓けるし、あとは気分良く過ごせるよう淡々と日々を送ることの大切さを学んだ。
そんなことをテーマに、「考え方を変える塾」をオンライン上で、スモールスタートでこのブログから発信しています。
机上の空論があまり好きではない。きれいなことばかり言うのもどうかと思う。
やりたいことがある時、やはりどれだけ本気になれるかは必須条件だと学んだ。
僕は起業で失敗した後、良い条件の仕事がすぐ見つかったのを見送って、敢えて自分で地獄に落ちてみようと思った。
でも世間で言われる地獄は、正直逆だったと僕は思う。
人生の答えは十人十色。でも僕がどう選択してどう進んだかは、参考までに公開していこうと思います。
これからも様々な考え方やコツも公開していきますので、
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