大事なのは物事をどう見るかだ。



 







昨日、玄関前の庭いじりをしていたら、お隣さんが声をかけてきてくれた。

「えらいねー。ガーデニングかい」

「いいえ、雑草がはえてこないよう、試行錯誤中です(笑)」

その方はいつも温和で、良い空気感をもった方だ。

娘さんがアメリカのロサンゼルスに住んでいたことがあるそうで、サンフランシスコ育ちの僕とは共通の話題も多い。

その方は立教大卒らしい。それもあるかもしれないが、同様に立教大卒の元恋人をふと思い出した。

その子のことを思い出すことは、ちょくちょくあるし、同じような場面で思い出すことが多い。

今日はその話をしてみようと思う。

事業はうまくいきそう?

僕が将来なんらかの事業をやりたいのは伝えていた。

聞いていると、お隣さんもアメリカで焼き鳥屋を人に任せて経営していたそうだ。

事業は大変なことも多いけど、やっぱ楽しいですよね。

うまくいく・いかないの段階ではなく、

「何をしようか模索中ですねー。でも僕、唐津は日本のサンセバスチャンのような食の町になれるポテンシャルがあると思っています」

そうすると、「唐津なんてだめだよ。福岡じゃなきゃ」

会話が進むにつれ、ちょくちょく「唐津はだめだ」という話になる。

「だめなところをよくするのがおもしろいんですよー!」と答えても、

あまり納得してもらえない。

きっと、長く住んで、いろいろあったんだと思う。

そりゃそうだ。何事も否定してしまいたくなるときは、僕にもあった。

月がきれいだなあ。

ここで、元恋人の話をしようと思う。

その子は、地元が大好きで、いまはそこの一等地に住めるような人になった。

付き合っていた頃、よくはっとさせられる出来事が続いたのだ。

歩いていると、急に「はー!今日は月がキレイだなあ」

「龍ちゃんと過ごせて、幸せだなあ」

そんなことをさらっと言うような人だった。

不幸を探すのではなく、いまある幸せを探す人だった。

その子は、人2倍努力する子で、一日の終わりの疲労度は半端ないはずだった。

そんな中、一日の終わりにもポジティブなことを述べている人だった。

才色兼備なのに、穴があいた靴をはくような人だった。

雨の日にも穴のあいた靴を履いて靴下をびちょびちょに濡らしているような人で、

僕は、長く使える靴をプレゼントしたくなり、僕が靴を買うSpingleに一緒に買いに行ったことがあるほどだ。

付き合ってから分かったことだが、彼女は代々続く医者家系だった。

彼女も何度か挫折しながらも医者になった。

とても裕福なのに、勉強と働くことばかり。

僕は彼女の頑張りに、医師の待遇は見合わないと思う。

でも不平も言わず、一日の最後にはなるべくポジティブな言葉を発し次の日朝早くから活動する彼女と過ごした時間は、

少なからず今の自分に良い影響をもたらしていると思う。

幸せを探す?それとも不幸を探す?

気づくのに時間がかかったけど、世の中には良いことも悪いこともごちゃまぜになっている。

でもその良い部分を見るか、悪い部分にフォーカスするかは自分で決められる。

その元カノと付き合っていたころ、愚痴や文句を一切言わないその子に単純に「すごいなあ」と感じていた。

3年ほど付き合っただろうか。一度だけ、同期がとても苦手だと漏らしていたことがあった。でもそれ以外はネガティブなことを言ったことがない。

互いに目指す方向がずれたため、別れることになって10年くらいかな?

僕もだいぶ幸せを探せる人になったと思うし、あまり周りが不幸でもそれに引っ張られなくなった。

でも未だに、その人ほどはメンタルが安定していないと思う。

でも彼女と過ごす期間があったのも手伝って、よくなってきていると思う。


シンガポール時代の上司

話がスリップしていくが、シンガポールの銀行の通訳をしていた時、そのスカウトしてくれた上司がよく言っていたことを、シェアしようと思う。

彼は東南アジアを中心に世界中を出張する人だった。

長期滞在も多い。そんな中、シンガポールに帰ってくるとほっとするらしい。

「龍、日本は本当にスペシャルな国だよ。とても楽しかった。ぼくの初海外は日本だった。それはとても良い思い出だ。日本も良いし、素敵な町はたくさんあるよ。でもシンガポールに戻ってくると、やっぱり自分の国がとても好きだ」

彼は帰国後、シンガポールの資産家たちにたくさんのみやげ話をする。

その時、「シンガポールが大好きだ」と言われたら、聞いている資産家たちはどう思うだろうか。

「このひとに自分の資産のお世話をしてもらいたいーーー」そう思うと思う。

彼はとても貧乏で家の電気が止まるほどだったらしい。

仕方なく近くのショッピングモールでクレジットカードの入会を営業するバイトを始めた。

そうするとあまりにも成績が良いので、シティバンクにスカウトされた。

そこから、シンガポールの金融のスターダムを駆け上がっていった人だ。

元カノも、その銀行マンもそうなのだが、

やっぱり心がある人を、周りは放っておかないんだと思う。


唐津の課題解決をしたい

さて、最後にお隣さんの話に戻ろう。

「地元の唐津を自慢したくなるような町に、少しだけでも導く」のが僕がやりたいことじゃないか。

「僕、課題解決をしたいんですよ。そのために、考え方をコーチングする塾をやります」

「塾?へー。でもそんな塾の塾生になろうと思う子は、唐津にいないと思うよ」

「いやー。そういう生徒がいない唐津を、そういう生徒ばかりの唐津にするのがおもしろいんです。ほらっ、早稲田の附属中高もすぐそこじゃないですか、さっそくその中学生に英語の勉強の仕方を教えることになったんですよ」

「おーそうか。まあ、市長が仲間だから必要なら紹介するよ」

「市長?!まあ、家の玄関でさえこのデコボコ状態ですからコツコツと育てていこうと思います。でも、ありがとうございます。いずれはお願いします」

後からふと思ったのだけど、ひょっとしたら、唐津に何しに来たのかを探る、ある種のテストのようなものだったのだろうか。

唐津はとても不思議だが魅力的で、自分が今後ここでどんなことをしていくのか、とても楽しみだ。

考えてみると、似たような経験があった。シンガポールの銀行への就職オファーにつながった「昼食会」のことを、次は書いてみようと思う。

これからの日本をどう生きる?

このブログは、起業が失敗で終わった僕がどうやって幸せを見つけられるようになったか、そんな話をしています。

同じ環境にいても、それを幸せと感じる人もいれば不幸と感じる人もいる。

僕が人生最悪だと思った日は、今では人生最高の日だったかもしれないと思えるようになった。

物事の見方や考え方を変えると、道が拓けるし、あとは気分良く過ごせるよう淡々と日々を送ることの大切さを学んだ。

そんなことをテーマに、「考え方を変える塾」をオンライン上で、スモールスタートでこのブログから発信しています。





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