僕の人生を変えた、一通のメール。

 前回、シンガポールの銀行にスカウトされた理由が「損得感情なしに他者貢献をしていたからだった」話をした。

きっかけとなった例のメールをそのままコピペしようと思ったのだけど、

残念ながらもうなかった。

でもある程度なら内容を思い出せる。もちろん英語で書いているが、こんな感じのはずだ。

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「本日ガイドの予約をいただいていましたが、あなたを見つけることができませんでした。なにかあったら大変だと思い、(当時ラインはなく、メールでのやりとりが一般的だった)メールをいれます。

万一お困りでしたら、僕が通訳をできますのでガイド外のことでもできる限り協力いたしますので頼ってください。

最後に、関空から帰る日程をいただいていますので、帰りの便を待つ数時間の間、時間つぶしに良さそうな施設情報を集めてありますので、共有しておきますね。

ではこの辺で。無事を祈っております。

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おそらく、こんな感じで送ったはずだ。

英語ができるのは、もちろん大事。

でも相手の時間をとらずに、

「困っているならその原因に対処できるのは、英語も日本語もしっかりできる自分だと思うし頼ってね」

という趣旨にした。ボランティア団体なのでお金の請求もないし、頼りやすい味方だと思う。

このメールには思いの外即返事がきた。

「どうもありがとう。急用ができて、行けなくなってしまったんだ。それにしてもとても丁寧なメールに感動してしまった。シンガポールに遊びにくることはありますか?ぜひその時は僕に連絡をください」

その後のことはこの記事にある程度書いたと思う。いずれ、シンガポールでどんな世界が拡がっていたかも書いてみようかと思う。

メールを書くとき気をつけたこと

僕は度々、メールやメッセージで好意的な反応をもらえる。

「文章に惹かれてしまって、あなたにメッセージしてみた」と言われたことも何回もある。

それはおそらく、気をつけていることがあるからだ。

  • 相手へのメリットをなるべく早く書くこと
  • 自分が相手から得られることを明確にすること(win winであることを伝えること)
  • 無駄な文章は削ぐこと
  • 選択肢をいれること
  • 一回で完結できるよう、必要な情報はすべて盛り込むこと
相手も暇ではない。僕だってそうだ。

せっかくなのだから、時間を有効活用しながら良い結果を得たい。

それを念頭におきながら文章を書こうと意識するのが大事だ。

大丈夫。はじめからできるはずはない。何回も見直し、書き直し、失敗もしながら、少しずつメール力を身に着けていけばいい。

それは、どんな仕事にも置き換えられる能力に育っていく。

「5つ星ホテル以上の対応だった…」

もうひとり、アメリカの観光客をガイドしたときの話をしようと思う。

そのときは二人がとても裕福なのは知らなかった。

ボランティアのガイドを頼むのだから出費をおさえたいと考えていると勘違いしていたのだが、

「未来のある学生が担うガイドを体験してみたい」投資家目線をもっているのに、そのときは気づけていなかった。

京都の主要観光地をまわる間、いろいろな質問をされた。

「なんで京都の大学を選んだの」「学生生活はどうだ」「君ならアメリカの大学も選択肢にあったのになぜ日本の大学なの?」「将来はなにをしたいの?」

そんな具合だ。

ガイドで主要観光地をまわりながら、これらの質問に答えていただけだ。

もちろん、ランチの選び方やちょっとした困りごと、マナーの面を伝える観光フォローはできる限りする。

そうすると、ガイドの終わりに、こんなことを言われた。

「僕らは基本5つ星のホテルにしか泊まらなくてね。でも君のサービスは、日本の5つ星以上だったよ。ホテルマネジメントをしていきたいんだろ?ぜひ頑張ってくれ。君の一年分の授業料を振り込むから、銀行口座を教えてくれるかい?」

僕は自分のサービスがそんなに良いとは微塵にも思っておらず、

「ちゃんと説明できたかな」「観光案内に間違いはなかったかな」など不安ばかり憶えていた。

でもその一所懸命さや、相手のニーズに合わせることが大事なのが今では分かる。

英語では求められている以上のサービスができることを、英語では"going the extra mile"と言う。

mileは日本でいうキロメートルのことで、1.6kmの単位だ。

「もう1マイル余分なサービス」という直訳になるけど、スタンダードよりよいサービスをするときに使う。

なぜその行動ができるのか、今では分かる

僕は正直、自分の「他者貢献志向」が一種の特殊能力であることに気づくのに時間がかかった。

当たり前のようにやっていたし、掘り起こすと自分の生い立ちに関係するからだ。

僕はとてもじいちゃん子で、小さいときのお世話役はじいちゃんだった。

厳しくしつけられるのだが、あまりにもよくしてくれるじいちゃんに対して、

「なるべくじいちゃんが喜ぶことをしたい」といつも思っていた。

僕だって完璧ではない。でも基本的に僕の行動は「じいちゃんが喜びそうなことはやる」だ。

じいちゃんはよく、テレビに向かっても、人と対峙したときも、

手で◯と☓を描いていた。その人の行動が◯か☓かという意味なのだと思う。

行いが悪いとしかめっ面をして☓を。

逆に良い行いをする人にはとても良い笑顔を見せながら大きな◯をジェスチャーする人だった。

◯☓が他人に見えるようにするのはちょっとやりすぎだとは感じていたけど、周囲にも愛嬌のあるじいさんだと思われていたようだ。

税務署勤めだったそうだ。事業者に調査に行った際、◯☓をメモっていたのかもしれない。

大事なのは英語というよりコミュ力のようだ。

英語力はもちろん大事。

でも本当に大事なのは、コミュニケーション能力に集約されるのだと思う。

一通のメールでも良いので、小さくても相手に貢献すること。

良いメールがかける能力があっても、英語ができなければ、

英語圏の人には良いメールは書けないし、

逆に英語ができても、

相手のためを思わない人は読まれるメールは書けない。

どちらの要素も必要で、必要なのは「他者貢献」と「自己成長」のセットだ。
でも英語はツールであって、英語を使ってどうするかが大事だ。

次の記事では、世界中いろんな国を行って多国籍の人と交流してきたなかで、

いまでも英語を学習するべき理由を改めて整理してみようと思う。


これからの日本をどう生きる?

このブログは、起業が失敗で終わった僕がどうやって幸せを見つけられるようになったか、そんな話をしています。

同じ環境にいても、それを幸せと感じる人もいれば不幸と感じる人もいる。

僕が人生最悪だと思った日は、今では人生最高の日だったかもしれないと思えるようになった。

物事の見方や考え方を変えると、道が拓けるし、あとは気分良く過ごせるよう淡々と日々を送ることの大切さを学んだ。

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